武者小路実篤の怪文

「ますます賢く」武者小路実篤
僕も八十九歳になり、少し老人になったらしい。
 人間もいくらか老人になったらしい、人間としては少し老人になりすぎたらしい。いくらか賢くなったかもしれないが、老人になったのも事実らしい。しかし本当の人間としてはいくらか賢くなったのも事実かも知れない。本当の事は分からない。
 しかし人間はいつ一番利口になるか、わからないが、少しは賢くなった気でもあるようだが、事実と一緒に利口になったと同時に少し頭もにぶくなったかも知れない。まだ少しは頭も利口になったかも知れない。然し少しは進歩したつもりかも知れない。
 ともかく僕達は少し利口になるつもりだが、もう少し利口になりたいとも思っている。
 皆が少しずつ進歩したいと思っている。人間は段々利口になり、進歩したいと思う。皆少しずつ、いゝ人間になりたい。
 いつまでも進歩したいと思っているが、あてにはならないが、進歩したいと思っている。
 僕達は益々利口になり、いろいろの点でこの上なく利口になり役にたつ人間になりたいと思っている。
 人間は益々利口になり、今後はあらゆる意味でますます賢くなり、生き方についても、万事賢くなりたいと思っている。
 ますます利口になり、万事賢くなりたく思っている。我々はますます利口になりたく思っている。
 益々かしこく。

ゴッホの自画像」
 彼はその画(注・ゴッホの自画像)をかいた時、もう半分気がへんになっていたろうと思う程神経質な顔になっていたように神経質な顔をして、この顔を見ればもう生きていられないような、神経質な顔をしていた。僕はこれでは生きられないと思った。実に神経質な顔をしていて、もう生きてはいられない程神経質な顔をしていた。